谷川名人との対局
この前の日曜、大阪福島にある、関西将棋会館で、30周年の式典があり、 息子と一日を過ごしました。朝、開場前から30名程が並んでいて、 開館と同時に入りましたが、谷川名人がおひとり立っておられ、出迎えていらっしゃいました。
私が谷川名人と直接お会いしたのは、小学生以来かと思います。 谷川名人の父は、須磨の高松寺の住職をされていました。わが家は、高松寺の檀家であり、 月1回お参りに来てくださっていました。又、寺で算数も教えられていました。 今の塾のように大人数の講義形式と違い、寺子屋みたいな感じでした。 谷川先生の回りを数名が取り囲み、学年もやっていることも違うという感じでした。 私も小学校を卒業するまで週4回通わせて頂き、算数はむかうところ敵なしとなりました。
その頃から、当時東須磨小学校低学年だった、谷川名人は将棋が滅法強く、灘中に行かれていた兄と指している光景をよく目にしましたが、いい勝負でした。
近所の大人も勝つ人が居ず、高松寺の門前には、「将棋の強い方、勝負に来て下さい」という張り紙がしてありました。当時は、夏とか街灯の下に台を置いて近所のおっちゃんたちがよく将棋をしていました。
そんなある時、同じ東須磨小の高学年だった私は、いつもの寺子屋勉強と違い、谷川名人と対局する目的で、家から250m程の高松寺を訪ねました。すぐに対局が始まりました。谷川名人は、私より4才ほど下だったと思いますが、こんな将棋が強い人に会ったことがないという驚きで、時間にして7~8分、30手程で終わってしまいました。
その後、谷川名人は、将棋の道を極めるべく、若松7段の門下生となり、学校がいつでも休めるようにと、自由な校風の滝川中に通学され、将棋界において一世を風靡し、羽生前の谷川時代を築かれたのは、皆さんのよく知ってられるところです。
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